和食の重要な食材である豆腐は、中国で唐の後期に誕生したと考えられているが、日本に伝わったのは宋との交流の中、源平の争いに騒然とした京の都を避けて、昔日の文化を保つ奈良に上陸したとされる(近藤弘先生)。1183年、春日大社の供物の中に初めて豆腐の文字が現れた(篠田統先生)。室町中期の「七十一番職人歌合」でも、京の都の市で「豆腐召せ、奈良よりのぼりて候」と豆腐売りが登場する。当時は中国と同様、水に浮かべず板に乗る固い豆腐であったようだ。
生産者の一言
奈良の平群で昔の固い豆腐を作っている「豆腐工房我流」の河本(こうもと)さんは、父親が堺で豆腐製造をされていて平群に移られた2代目である。「げんこつ豆腐」「鉄拳豆腐」など固い豆腐から「燻製」や「ジャーキー」など工夫を重ねた作品も作り出したのでぜひ食べてみてほしいという。奈良は明治の一時「堺県」であったが今井町と堺の関係も深く、豆腐が奈良から堺へ出て、また戻ってきたのかと楽しい想像も働く
豆腐にまつわる話
昔の豆腐は「藁で縛って持ち運べた」という話はよく聞く。「げんこつ(鉄拳)豆腐」もそれは可能だ。また、固い豆腐は、高冷地の野迫川村や針ヶ別所村では、冬に小切にして一晩凍らせ1週から10日低温で寝かせて熱湯で戻し、絞って乾燥させて「高野豆腐」が作られた(大正から昭和初期まで)。「凍り豆腐」ともいわれるゆえんである。高野山麓でも製造され高野山でも使用されたので「高野豆腐」の名がついたと考えられる。
<参考文献>
「日本人の求めたうま味」 近藤弘 中公新書 1983年
「豆腐の話」 篠田統 駸々堂ユニコンカラー双書(共著)1976年
こちらで召し上がれます
「豆腐工房我流」 平群町吉新1-3-10 TEL 0745-45-3671
「(道の駅)大和路へぐり くまがしステーション」 平群町平等寺75-1 TEL 0745-45-8511
「JR奈良駅 奈良のうまいものプラザ」 奈良市三条本町1-1 TEL 0742-26-0088